ひかり

2005年04月27日

なぜボクらは光にひかれるのか

初めてこのブログを読まれる方はこちらからご覧ください。

4月20日の「アイデア出しの集い」の写真をアップしました。のぞいてみてくださいませ

さて、脚本決定まで、あと34日。今日はいよいよ「アイデア(脚本の種)募集」の〆切日です! 「仮タイトル」「テーマ」「論点」「設定」の4つさえはっきりしていればOK。(実例はこちら) 日付が変わるまで受け付けますので、ぜひお気軽にご応募くださいませ。集まった全てのアイデアから、5月1日の投票で10本程度に絞り込みます。

あなたの思いが、映画になる。

さて、今日は先日から活発に意見が交わされている「光」について。なぜボクらはこれほどまでに光にひかれるのか?

ボクら自身が光だから。

これがボクなりの答えです。太陽光のエネルギーを「かたち」にかえる営み。それが植物の光合成。それを糧に、ボクら人間を含む全ての動物の命が育まれている。ならば、地球上に存在する全ての生命は、光から始まっているのではないか? ボクらは光が姿をかえた「あらわれ」なのではないか?

だから、ボクらはひかれる。折に触れて、遠い故郷がたまらなくなつかしくなるように。

そんな気がします。

黒川裕一

この日誌を明日も読みたいと思ってくださった方は、エール代わりにこちらをクリックしてくださいませ。

at 08:11|PermalinkComments(4)

2005年04月23日

光の色

えみさん、杉江さん、コメントありがとうございました。今日一日分の元気をいただきました。これからもよろしくお願いします。杉江さん、就職活動のご成功、心からお祈りしています。

えみさん曰く、「アイデア出しの集いに参加するようになって、夢見がち? いやいや感覚が鋭くなったのか、満開の木香薔薇を見ても、黄砂で霞む遠くの山を見ても、日増しに緑が濃くなっていく欅の葉を見ても、いつもより数倍深く感じている自分がいます」。

そうなのです。「つくる立場」になってものを見ると、何もかもが違う顔に見えてくるのです

ボクは生まれつき赤緑色弱なのですが、映画を始めたとき、光には色があることを知りました。

もちろん、「青い空」という言葉は既に知っていました。でも、太陽の光が青いことは知りませんでした。毎日お日様の下を歩きながら、一度も「見た」ことがなかったのです。

それは常にそこにあったのです。ボクが見ようとしなかっただけなのです。

それに気づいただけでも映画を志してよかったと、ミシシッピ川の東岸に腰をおろして飽きもせずに夕陽を眺めていた日々を思い出します。

脚本決定まで、あと38日。このプロジェクトにかかわる全ての方が同様の感慨を抱いてくださればと願っています。

黒川裕一

at 17:48|PermalinkComments(4)