2007年07月29日
意味のあるなし
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アクティング&コミュニケーション「HINAMI 六秒塾」
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「まつりごと」が飛ばせなかった宇宙船地球号を
映画づくりという「おまつり」が飛ばす。
その夢を、「買って」ください。
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上映会→情報と申込はこちら
定期上映会熊本 8/9, 9/10
「ご近所法廷」熊本プレミア 9/11(HINAMIネット会員様限定ご招待。チケット販売及び一般招待なし)
「ご近所法廷」東京 9/21, 大阪 9/23
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ことばの学校 1回限りのダイジェスト版開講決定!
あなたのコミュニケーションには、癖がある。
今すぐこちらを。
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第四作「パンドラの月」撮影開始まで、あと127日。
祥子さん、みかんさん、fuzzyjazzyさん、コメントありがとうございます。祥子さんも書いておられるように、人の「生老病死」に触れると、生きる意味について考えさせられるものですね。
「意味」は、どこまで行っても見出した人の主観の産物だと思います。
例えば、「試合に向けて一所懸命に野球の練習をした。すると、雨が降って試合が一日延びた」という状況があるとします。これを、「一所懸命練習したのに、無情にも雨が降って試合が延びた」と意味づけるか、「一所懸命練習したから、恵みの雨が降って一日体を休められる」と意味づけるか。それは、自分が決めることです。
しかしながら、「物事をポジティブに意味づけよう」と努力するのは、無理があるような気がします。それだけで疲れてしまいそうです。
これと、「ふと気がつくと、ポジティブな意味を物事からなぜか読み取っている自分がいる」のとは大きな隔たりがあると思います。そして、そんな自分が自然に現れ出るのは、目の前のことに一つ一つ丁寧に、淡々と取り組み、日々まい進しているときだと、経験から感じています。
今日も一歩ずつ。着実に。丁寧に。
黒川裕一
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・HINAMI2006夏作品「みんなの日記」のページ
・HINAMI2006冬作品「ご近所法廷」のページ
・HINAMI2007作品「パンドラの月」のページ
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・HINAMI2007上半期キャンペーンソング決定!
・「みんなの日記」の予告編にあなたの音楽をつけてみませんか。(詳細及びこれまでにご提出いただいた作品はこちら!)
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「意味」は、どこまで行っても見出した人の主観の産物だと思います。
例えば、「試合に向けて一所懸命に野球の練習をした。すると、雨が降って試合が一日延びた」という状況があるとします。これを、「一所懸命練習したのに、無情にも雨が降って試合が延びた」と意味づけるか、「一所懸命練習したから、恵みの雨が降って一日体を休められる」と意味づけるか。それは、自分が決めることです。
しかしながら、「物事をポジティブに意味づけよう」と努力するのは、無理があるような気がします。それだけで疲れてしまいそうです。
これと、「ふと気がつくと、ポジティブな意味を物事からなぜか読み取っている自分がいる」のとは大きな隔たりがあると思います。そして、そんな自分が自然に現れ出るのは、目の前のことに一つ一つ丁寧に、淡々と取り組み、日々まい進しているときだと、経験から感じています。
今日も一歩ずつ。着実に。丁寧に。
黒川裕一
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at 09:44│Comments(1)│制作日誌
この記事へのコメント
1. Posted by 山田 2007年07月29日 17:08
ある人が言いました。
「存在するもの全てに意味がある。だから素晴らしい」
別な人が言いました。
「存在する。それ自体が素晴らしい」
別な人が言いました。
「素晴らしいと感じられる自分が、素晴らしい」
「存在するもの全てに意味がある。だから素晴らしい」
別な人が言いました。
「存在する。それ自体が素晴らしい」
別な人が言いました。
「素晴らしいと感じられる自分が、素晴らしい」