アウトライン化が始まりました開放か、解放か

2005年05月06日

集合天才

初めてこのブログを読まれる方はこちらからご覧ください。

脚本決定まで、あと26日。「ひとりの天才より、百人の凡人」というコンセプトが、予想もしなかった反響を呼んでいます。今日も東京の友人から、以下のようなメールが届きました。彼が新卒で入社した会社の理念だそうです。ご紹介ありがとうございます。

「一人の知識、一人の時間、一人の力は無力である。一人一人が自分の力だけで何もかもやるという考え方を捨てることである。自分ひとりの力でできる水準を目標とする考え方を捨てることである。しかし、個人の経験を全体のものとし、全体の力を個人に結集することが出来れば、天才以上のことも成し遂げられるのである」

そんな組織体を「集合天才」と呼ぶとのこと。更に言葉が続きます。

「専門家が集まったからといって天才になれるわけではない。本当に努力する人たちでなければ、集合天才は生まれない」

努力するしないにかかわらず、ひとりひとりの存在、そして力を合わせることそのものに「意味」を見出したいとボクは思います。でも、努力なくして物事が成し遂げられるほど、世の中は甘くない。ならばせめて、一緒に楽しく努力できる雰囲気をつくっていきたい。みんなが同じはちまきを締めて、しかめっ面をしてがんばるのではなく、ひとりひとりが自分の持ち味を生かし、自分なりのかかわり方で、笑みの中にもときどき歯を食いしばりながらがんばる方がいいなと思うのです。

そんな思いを抱きながら、今日もこのプロジェクトに取り組んでいます。

黒川裕一

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at 12:13│Comments(1)制作日誌 

この記事へのコメント

1. Posted by だいてん   2005年05月06日 20:14
アウトラインづくり途中から参加しましたが、ひとつの流れを考えるにしてもたくさんの支流が見えてきてしまい、結構みんな細かいことまで。。。こっちの方がいい、あっちの方がシックリくると、なかなか収束しない楽しい時間でした。次回も楽しみです。
力を合わせることそのものに「意味」を見出したい、まったく同感です。合わせることができるというのがすでにすごいことだと思います。人がぞろぞろと・・・毎回ビックリします。
思えば、合わせるということを知らない、合わせ方を知らない、ということで、ずっと悩んできた気がします。そういう人は意外と多いのではないか、とも思いますが。
合わせるというと、
間に生まれるもの、ということを思います。
自分も父母の間に生まれて、こうしてここにいるのですが、合わせるということの核は、1+1が3にも4にもなることではないか、と思います。
そして、もうひとつの核は、良いものか悪いものかは別にして、予期せぬもの・とんでもないものが生まれてしまうことではないだろうか、と思います。親不孝?
昔、老先生が、ご自身の結婚生活のことをお話されていたことの中に、こういうのがありました。
昼と夕は奥さんが作ってくれるのだけど、自分は早起きなので朝ご飯は自分がを作ることになっている、奥さんはその間ゆっくり寝ていられる。
お二人の間には、数にもことばにも換算できぬ、いろいろなものが生まれているようで、いいなぁと思ったことがありました。
一人暮らしするようになって以来、自分で何でもできるようにならねば、みたいな強迫がずっとあったので、とても新鮮で印象に残っています。
これから、いかなるものが生まれるのだろうか、どんなことが起こるのだろうか。うううん、よく分からない・・・たのしみ。

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