記憶(3)開放系

2005年04月16日

記憶(4)

脚本決定まであと45日。昨日のコメントは、濃かったですね。何度も読み返しました。「記憶」というテーマはそれほどボクらを魅了してやみません。なぜなら、それはボクら自身だから。

美和さん、テツヤさん、Kuniさん、コメントありがとうございました。こんなふうにブログ上で交わされた言葉が映画の中にすんなりとしみこんだら、最高ですね。静かに胸躍ります。

美和さんの「うぶ様の水」、名前を聞くだけでなつかしさがこみ上げてきました。「うぶ=産ぶ=初ぶ」という言葉が発する、幾重にも重なったイメージのせいでしょうか? 土曜の朝から、すっかり連想モードです。

「記憶」から「身体感覚」、更にはKuniさんの「魂のDNAに蓄積された遺産」にまで話が発展しましたので、更に掘り下げてみます。その先にほの見えるのは、三大キーワードのひとつである「体感系」です。

「身体感覚」は、「説明」によって伝えることが出来るのでしょうか?

例えば、夢中だった人に無残にふられ、心が文字通り千切れてしまったとします。その「痛み(という身体感覚)」を誰かに分かってもらいたいとき、あなたはどうするでしょうか? どうすれば、分かって(分かち合って)もらえるでしょうか?

黒川裕一

at 09:48│Comments(1)記憶 

この記事へのコメント

1. Posted by あさたろう   2005年04月16日 23:39
ブログの展開が早くて、コメントしたいお題があっという間に過去の彼方へ・・・。すごいっす。
「身体感覚」は「説明」によって伝えることができるのか?
「親知らず」を抜いた経験のある人同士だと、その身体感覚はかなり信憑性のあるところまで「説明」によって伝えることができるよーなきがします。
が、「ふられて千切れた心の痛み」となると伝わるかどーか自信ないっす。
同じような「経験」もしくは「記憶」を共有していないとムリなんすかねぇ?
「心の痛み」をわかってほしいのか、わかってほしいと思っている自分を受け入れてほしいのか、うーん、今夜は眠れそうにないっす。

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