視覚おそるべし記憶(2)

2005年04月13日

記憶

脚本決定まであと48日。出張から無事戻りました。

昨日の「視覚おそるべし」について、早速たくさんのコメントをいただきました。ありがとうございます。その中でえみさんが触れている「山田テツヤ」さんと、昨日は東京でたっぷりアイデアを交換させていただきました。

彼のあふれる才能については、論より証拠。右のリンクをクリックしてみてください。

テツヤさんとは知り合ってまだ半年あまり。出会った瞬間、すぐにも一緒に何かを企てるだろうと確信。何気なく言葉を交わすだけでいいアイデアが引き出され、ワクワク、ゾクゾクすると同時に心安らぐ稀有な存在です。近々熊本にも来てくださる予定ですので、お楽しみに!

昨日のテーマは、「記憶」。テツヤさんに「今一番気になっていることは何ですか?」と聞いたところ、すぐに返ってきたのがこの言葉。ボクのアイデアノートにも最重要ワードのひとつとして書き込まれており、即決定。

紙や活版印刷術の発明からIT革命に至る、「記憶から記録へ」のパラダイムシフト。より正確な「記録」の共有によって、人類全体の知的生産性は加速度的に向上し、文明は今に至っています。その一方で、「記憶」が舞台の脇へと押しやられてはいないでしょうか? 「記憶する存在」であったはずのヒトは、今や「記録する存在」におとしめられてはいないでしょうか?

話し合いでは、テーマをトピック化するために、いろいろな「問い」を立ててみました。例えば、以下のような感じです。

「(新しいことを)おぼえられない」と「おもいだせない」。どちらか一方を選ばなければならないとしたら、あなたはどちらを選びますか? それは、なぜですか?

黒川裕一

at 14:03│Comments(1)記憶 

この記事へのコメント

1. Posted by みなみ   2005年04月13日 16:56
「おぼえられない」VS.「おもいだせない」、非常に恐ろしい究極の選択ですね。「博士の愛した数式(小川洋子著、新潮社刊)」や「火星の人類学者」(オリヴァー・サックス著・ハヤカワ文庫刊)」等を読むと、記憶の存在を深く考えさせられます。どうも「おもいだせない」ことは周囲の人間をやりきれなくさせてしまうようですね。逆に「おぼえられない」は自己の存在の根源が揺らぎますね。私は「おもいだせない」ほうを選びたいと思います。大事なことを常に映像や文字、音にリアルタイムで保存して、「失われる記憶=記録」を「おぼえ」たい。こうすることで、「記録=過去」が「記録=新しいこと=未来」になるかもしれません。

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