音の力視覚おそるべし

2005年04月11日

感動のやってくる場所

いよいよ脚本決定まであと50日。

「体感系」(4月5日)の「ヒトの進化の原点は、感動である」という言葉に関して、一緒に仕事をさせていただいている出版社の方より以下のようなコメントを賜りました。ありがとうございます。

「感動は大切なものであるということ、それが失われている昨今、復古させるべきであるということは私も非常に共感できますが、その『感動』を物語の中で発動させる『装置』をどうするか、ということだと思います」

すなわち、「『逆境を切り開き、それを通して成長する主人公』のようなよくあるパターンの先に、新しい装置はないものか」ということですね。

そうなのです。いわゆる「いい話」は出尽くした感があるのです。「古代ギリシャや中国から、物語の骨組み(構造)などさして変っていない」と指摘する文学者すらいるほどです。

ならば、それ以外の場所に可能性を求めることは出来ないのか?

昨夜の「第3回・アイデア出しの集い」のテーマは「五感・身体・なつかしさ」でした。例えば、かの有名な「私の耳は貝の殻 海の響きをなつかしむ」(ジャン・コクトー)。「耳」と「貝の殻」が意識の中で重なり合ったその刹那、海の遠い記憶へと連れ戻されるほどにボクらの身体は鋭敏です。ここに、物語の筋やキャラクターの成長以外の場所からやってくる「感動」の引き金がありはしないか?

「耳」と「貝の殻」を意識の中で重ね合あわせる営み…連想。呼び覚まされる身体感覚…体感3つのキーワードのうちの2つが、こうしてつながります。

では、「開放系」はどこに?

黒川裕一

at 04:06│Comments(2)制作日誌 

この記事へのコメント

1. Posted by だいてん   2005年04月11日 18:30
昨日のアイデアだし、「五感、身体、なつかしさ」で感じたこと。
僕は、嗅覚とか鼻についてのグループに混ぜていただいていたのですが、連想がなかなか難しい。
出てきたのが、鼻の形がマクドナルドに似ている、とか。洞窟っぽいとか、形から形へという連想が多かったのですが、それは視覚的な連想のような気もする。視覚おそるべし。
難しいな、と思いつつ、僕がずっと考えていたのは、なつかしい匂い。つい、ああ、なつかしいな、と思ってしまったり、あ、この匂いはどこかで嗅いだことがあるぞ、と思うことがあります。
いつも、「あの匂い」としてしか表現できないようなもどかしさ。あ、これは何の匂いだっけ、とか。とにかく、ことばにするのは難しい。
あるいは、非常に個人的なもの、あの時あの場所で嗅いだ匂い。これも人に説明するのは意外に難しい。中学校の化学の実験で初めて嗅いだ、アンモニアのあの匂い、鼻がこげるかと思いました。タイムマシンのようですね。
こう思い出しながら、何故なつかしく思うのだろうか、という風に考えると、やっぱり昔はとても身近にあったものが今ここにない、ということがあると思います。昨日は、「ニオイダマ」という、なつかしい産物の名前を久しぶりに聞きました。いまもあるのか、知りませんが。
視覚から嗅覚へ、とか、嗅覚から聴覚へ、というふうに連想できれば楽しいですよね。そのときは意識していなかったのですが、おそらく、あの場でやろうとしていたことって、そういう嗅覚と他の感覚を交差させていく作業だった気がしています。
でもほんとうに難しいですね。
2. Posted by みわ   2005年04月13日 23:26
初めて嗅いだアンモニアの匂い!本当に懐かしい記憶ですね。
私は例えば、こんな匂いに懐かしさを感じます。
日干しした布団にしみ込んだ太陽の匂い。洗いざらしの洗濯物から香る洗剤の匂い。
夏の夜、花火を終えた後に漂う火薬の匂い。
雨上がりの道路に漂う蛙の生臭いにおい。
お父さんの吸っていたキャビンマイルドのにおい。
小学校の職員室から香るコーヒーの匂い。

こんな匂いがしてくる映画になったらいいなぁ(^^♪

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