2005年04月17日

開放系

あさたろうさん、コメントありがとうございました。発してくださった「『心の痛み』をわかってほしいのか、わかってほしいと思っている自分を受け入れてほしいのか」という問いが、今この瞬間にボクの中で激しく振幅しています。

さて、今回は、三大キーワードの中でただひとつずっと書かずにきた「開放系」に触れます。いくつもの次元や位相で「開放」を試みたいと考えているのですが、そのひとつが「映画の中と外を隔てる境界」を開放すること。イメージは、ベルリンの壁を壊して東西ドイツを自由に行き来できるようにする感じです。

「映画をみる」という体験。登場人物に感情移入する。スケールの大きさに圧倒される。悲劇的な結末に涙する…。しかしそれでも、スクリーンの上で展開するのは、「2次元の世界」のツクリゴト。3次元の「現実」に土足で踏み入ってきてボクらのリアリティを脅かすことはありません。

では、どうすれば?

先駆的な試みは少数ながら既に行われています。ボクがもっとも鮮明に記憶しているのは、 “Fight Club” のエンディング。最後の最後に、ほんの数コマだけある映像が挿入されていたのをおぼえていませんか? あれぞ「開放系」。おぼえておられない方、まだご覧になっておられない方は今すぐビデオ店へ!

脚本決定まであと44日。今日の「アイデア出しの集い」では、切り口をがらりと変えてみようと考えています。結果は明日ご報告しますので、お楽しみに!

黒川裕一

at 11:26|PermalinkComments(3) 開放系 

2005年04月16日

記憶(4)

脚本決定まであと45日。昨日のコメントは、濃かったですね。何度も読み返しました。「記憶」というテーマはそれほどボクらを魅了してやみません。なぜなら、それはボクら自身だから。

美和さん、テツヤさん、Kuniさん、コメントありがとうございました。こんなふうにブログ上で交わされた言葉が映画の中にすんなりとしみこんだら、最高ですね。静かに胸躍ります。

美和さんの「うぶ様の水」、名前を聞くだけでなつかしさがこみ上げてきました。「うぶ=産ぶ=初ぶ」という言葉が発する、幾重にも重なったイメージのせいでしょうか? 土曜の朝から、すっかり連想モードです。

「記憶」から「身体感覚」、更にはKuniさんの「魂のDNAに蓄積された遺産」にまで話が発展しましたので、更に掘り下げてみます。その先にほの見えるのは、三大キーワードのひとつである「体感系」です。

「身体感覚」は、「説明」によって伝えることが出来るのでしょうか?

例えば、夢中だった人に無残にふられ、心が文字通り千切れてしまったとします。その「痛み(という身体感覚)」を誰かに分かってもらいたいとき、あなたはどうするでしょうか? どうすれば、分かって(分かち合って)もらえるでしょうか?

黒川裕一

at 09:48|PermalinkComments(1) 記憶 

2005年04月15日

記憶(3)

脚本決定まであと46日。「記憶」について話が盛り上がってきていますね。たかやさん、りかさん、コメントありがとうございます。一緒にこのブログ、そして映画をつくっていきましょう。これからもよろしくお願いします。

さて、「記憶」とは、そもそも何でしょうか?

ボクなりの言葉にすると、「身体感覚の蓄積」です。「知識」や「情報」として記憶しているものすら、その理解には身体感覚が必ず伴うと思うからです。例えば、「スマトラで大地震が起きた」という情報。これが「ス・マ・ト・ラ・で」という文字の単なる羅列を超えて意味のあるものとして理解されるためには、地震の揺れ、それによって引き起こされる恐怖感のような身体感覚が不可欠ではないでしょうか?

つまり、「記憶」という脳内現象は、身体と不可分。

本日、友人から以下のようなメールが届きました。「五感は自然の中で研ぎすまされていくようなイメージがあります。自然の中で研ぎすまされた五感はそれ以外の状況、例えば物との出会いにおいても重要な役割を果たすかもしれません」。

みなさんのコメントにもあるように、「記憶」は自我や人間らしさの根幹を成しています。そして、上で述べたとおり、それは身体という最も身近な「自然」と切っても切り離すことができないのです。身体を使わない、自然の中に出て行かない今日のライフスタイルは、ボクらの「記憶」をとても貧しいものにしているのかもしれませんね。

とりあえず、今すぐちょっと歩きますか…。

黒川裕一

追伸
次の「アイデア出しの集い」は、17日(日)午後3時から4時半まで。会場は白川わくわくランドです。ご参加をお待ちしています!

あなたの思いが、映画になる。


at 11:16|PermalinkComments(3) 記憶