2005年04月06日

映画は誰のものか

脚本決定まで、あと55日。

「メディアは誰のものか」という議論が紛糾しているようですね。テレビを見ないボクですら、感じています。

では、映画は誰のものか? 「監督のビジョンを作品化したもの」が映画か?

ボクは、映画における「巨匠(カリスマ監督)」の時代は終わったと思っています。たったひとつの頭を悩ませるよりも、たくさんの頭を縦横につないだ方がよほどおもしろいものが多様に出て来ることを、インターネットが日々示してくれているからです。

それを映画に応用してみたい。ひとりひとりは平凡なボクらの知性と感性を縦横の糸として、それを紡ぎあげたらどんな模様が描かれるのか、見極めてみたい。

この時代の監督は、もはや「ディレクター(指示者)」ではない。「コーディネーター(まとめ役)」である。みんなの化学変化をうながす「触媒」である。

早速、本日アイデアを自由に出す場を設けます。「電影えいご室」終了後、午後9時半過ぎより11時まで、熊本市中心部のギャラリーキムラにて。飛び入り大歓迎。お待ちしています。参加できない方も、何でもお気軽にブログ上にコメントを。全て素材として生かさせていただきます。

映画は誰のものか?
みんなのものである。

黒川裕一

追伸
尊敬する経営者(大阪在住)から、以下のようなエールが届きました。肝に銘じます。
「やってみなわからん!やったことしかのこらん!」

at 09:06|PermalinkComments(2) 制作日誌 

2005年04月05日

体感系

ロベルトさんより、「体感系」について、「フィリップ・グラスやマイケル・ナイマンといった作曲家が、最近、劇場で生オーケストラによる音楽をつけてます」とのコメントをいただきました。ありがとうございます。

ご承知の方もあるかと思いますが、1900年前後、黎明期の映画は「サイレント」でした。音声つきになったのは、1920年代に入ってからです。しかし、これを「音なし」とするのは大きな誤解で、音楽の「生演奏」や、講談師による「生語り」をつける場合が多々あったそう。その意味においては、ロベルトさんのおっしゃる「生オーケストラ」は映画の原点に戻っているとも言えそうですね。

さて、ブログ立ち上げをご報告したところ、尊敬する先達から次のような激励を賜りました。「映画製作に関して私のささやかなお願いがあります。現代の若者達が失いつつあるものが、『感動するこころ』です。しかも、持続する感動を映画を通じて若者層に発信して頂ければ幸甚です」。

そしてこのメールは、次の言葉で締めくくられています。
「ヒトの進化の原点は、感動であると思います」

脚本決定まであと56日となった本日、深く胸に刻みました。

黒川裕一

at 12:25|PermalinkComments(2) 体感系 

2005年04月04日

連想系(2)

ボクたちの映画の基本コンセプトである、「連想系、開放系、体感系」。

昨日の日誌で提起した「連想系の対義語」について、早速お二方からコメントが。たかやさんは「提示」「掲示」「羅列」、いさかさんは「写実系」「直接表現系」。本当にありがとうございます。

「想像(⇔写実)」と「連結(⇔羅列)」。これらを組み合わせた、ヒトという種に許された無限の可能性。それが「連想」。

どうやって、それを回帰不能点の彼方まで解き放つか。この1年あまり、ずっと考えてきました。その際、「対義語は何だろう」という問いがとても有効でした。対になるものの向こうに、影として浮かび上がってくるものがありました。それは、たかやさんやいさかさんの答えと大きく重なるものでした。しかし、異なるものでした。

脚本決定まであと57日。今日も感じ、考え、書き続けます。

黒川裕一

at 17:49|PermalinkComments(3) 連想系